このブログでは極力まじめな話はしないように心がけてきた。
別に不真面目に書いてきたわけでもないが。
理由はブログというものが書いている本人の内面をさらけ出すのに適しているからだ。
今までも日記形式のサイトは数多く存在したが、ブログの持つ匿名性や手軽さから利用者が爆発的に増え、また、そうした用途に合致しているからだろう。
普段覗くことのできない他人の奥底を深くかいま見る機会が多くなった。
故にともすればディープな話題になったりもする。
そんな中で記事にしろコメントにしろ、敢えて笑いをとったり多少おちゃらけたりすることで和らげたい。
そんな思いからまじめな話(話し方、コメントも含めて)を避けてきたがこのブログでもちょっとだけ、たまには真面目な話をしてみたい。

るる嬢の草原の人にトラバします。

草原の人がどんな人か。
それはこの言葉を引用した本人にしか的確には表現できそうもないので、
自分が好きになる女の定義を書いてみる。


大抵の生き物は種の保存を目的とし、雄が雌を得るために戦い、結果獲得された雌がその雄の子孫を残す。
そのため雄は力が強く、雌は生命力が強い。

本質的に男が女を追いかけ、女がそれを受け入れるという図式の方がしっくりする。

この本質が逆転していたとすれば、極端な話だが性風俗は女のためのものになっていたであろう。
私は女が苦手であると以前書いたが、言い寄られるのも悪い気はしない。
ただ好きになるのは自分から言い寄った場合の方が圧倒的に多い。
まずこれが自分の図式だ。

ではどんな女を好きになるか。
自分をうまく受け入れてくれる人だ。
自分のことを理解してくれ、包み込んでくれる人、
わがままな時も掌の上で遊ばせてくれる人、
そういう女を望んでいる。
これも本質的なものなのかもしれない。

胎内回帰という願望がある。
現実社会から逃避する願望だが、母性を持たない男の方が願望が強い。

男は女に包まれたいのだ。
貫くよりも。
上手に包んでくれる女に包まれたい。

包むためにはそれなりの器量が必要だ。
器量は魅力として表現され、男にとっての判断材料になる。
私にとっての女の魅力は女であること+付加価値だ。
自分に無いものを持っていること、イコール尊敬できる部分であり、それがその人の魅力となる。
それが精神的なものでも特技でも構わない。
自分を持っていることが大切だ。
でないと男は帰ることができない。

これらのことは女が男を好きになる理由としてもあてはまるだろう。

ただひとつ、経験的なことから言うと好きという度合いが極端に偏るとうまくいかない。
好きになるときはどちらも同じくらい好きになるのがいい。

一方的な愛は押しつけに成りかねないから。


色々な意味で強くなりたい。
そして包まれたい。
常にそう思っている。
むずかしいんだけどね。


異論反論うえるかむです。

注:文中で「女性」と言わず「女」という表現をしていますが「雄」「雌」からくる流れによる表現であり他意はありません。